集団的自衛権の限定容認に関する新聞記事

<東京新聞>
集団的自衛権 「限定容認」という詭弁
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2014040502000148.html
 限定的なら認められる、というのは詭弁(きべん)ではないのか。集団的自衛権の行使の「限定容認論」である。政府の憲法解釈は長年の議論の積み重ねだ。一内閣の意向で勝手に変更することは許されない。
 限定容認論とは、集団的自衛権の行使を「日本近海を警戒中の米艦船が攻撃を受け、自衛隊が防護する場合」など事例を限定して認めようというものだ。自民党の高村正彦副総裁が主張した。
 高村氏のよりどころは、米軍駐留の合憲性などが争われた最高裁による一九五九年の「砂川判決」である。
 日本の自衛権について「わが国が、存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは国家固有の権能の行使として当然」との判断を示した。
 高村氏はこれを論拠に「国の存立を全うする必要最小限度(の実力行使)には、集団的自衛権の範疇(はんちゅう)に入るものはある」として、米艦船の防護などは「必要最小限度に当たる」と主張している。
 政府の憲法解釈で違憲としてきた集団的自衛権の行使を、一内閣の判断で合憲とすることには公明党や自民党の一部に根強い慎重論がある。限定容認論は説き伏せる便法として出てきたのだろう。
 しかし、いかにも無理がある。
 個別的自衛権を有するかどうかが議論されていた時代の判決を、集団的自衛権の行使の一部を認める根拠にするのは「論理の飛躍」(公明党幹部)にほかならない。
 公明党の山口那津男代表は高村氏との会談で、個別的自衛権で対応できないか、まず検討すべきだと、限定容認論に慎重姿勢を示したという。当然だろう。
 集団的自衛権をめぐる議論の本質は、日本が直接攻撃されていないにもかかわらず、他国のために武力行使することが妥当か、長年の議論に耐えてきた政府の憲法解釈を、一内閣の意向で変えていいのか、という点にある。
 たとえ限定的だったとしても、政府の憲法解釈を根本的に変えることにほかならない。
 このやり方がいったん認められれば、憲法の条文や立法趣旨に関係なく、政府の勝手な解釈で何でもできる。憲法が空文化し、権力が憲法を順守する「立憲主義」は形骸化する。イラク戦争のような誤った戦争に巻き込まれることも現実味を帯びてくる。
 限定容認なら大丈夫と高をくくってはいけない。立憲主義の危機にあることを、すべての国会議員が自覚すべきである。



<琉球新報>
集団的自衛権 「限定」で本質隠すな
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-222915-storytopic-11.html
 「限定的」「必要最小限」といった説明に違和感をぬぐえない。
 自民、公明両党は憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認をめぐる協議を事実上始めた。安倍晋三首相の意向を受けたものだ。自民側が「限定的」な行使容認に理解を求めたのに対し、公明側は難色を示し、平行線に終わった。
 集団的自衛権の行使とは、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、関係国が攻撃された場合に、その国と一緒に戦争を始めるということだ。歴代内閣は「憲法解釈上、許されない」との見解を示してきた。
 集団的自衛権の行使容認に世論の大半が反対する中、自民党は「行使を必要最小限に限定して容認する」との方針を打ち出した。
 政府も行使を「限定的」に容認する原案をまとめたが、最初に全面行使論を吹き掛け、ここに来て抑制的にとどめたかのように装う手法のように見える。国民向けの印象操作ではないか。
 政府の原案では自衛隊の活動範囲は日本領域と公海上に「限定」し、他国領域への派遣は認めない方向で検討するという。一見、行使容認に慎重な公明党に配慮した形だが、「限定」といっても公海上なら地球の反対側でも活動することになる。しかも、日本攻撃の意思のない国への攻撃がありうる点も変わりはない。「平和の党」を掲げる公明は、自民との協議でその真価が問われよう。
 政府は行使の具体例として日本周辺の公海上での米艦船防護や日本と中東を結ぶシーレーン(海上交通路)防衛などを想定している。
 だが交戦状態で、公海と他国領域を本当に区分できるのか、日本周辺で米軍だけ先制攻撃されるような事態が想定されるのか。数々の疑問が浮かぶ。何よりこれまでも米国の戦争のたびに海外派兵を含めて協力を強いられた日本外交の過去を考慮すれば、限定容認論はたちどころに説得力を失おう。
 他国の戦争に巻き込まれて自国が攻撃され、自衛隊が他国民を殺し、殺されるかもしれない-。その覚悟を国民が共有しているのか。合意が得られている状況には程遠い。
 安倍政権は夏以降に憲法解釈変更の閣議決定を目指すが、歴代内閣が積み重ねた解釈を国民的議論も尽くさず、憲法改正の手続きも経ずして変える暴挙は許されない。「限定」といった言葉で議論の本質を隠してはならない。



<河北新報>
集団的自衛権/限定容認、歯止めにならず
http://www.kahoku.co.jp/editorial/20140405_01.html
 集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の見直しに向け、まずはハードルを低めにして、風穴を開けることを優先するということなのだろう。
 政府が固めつつある、いわゆる「限定容認論」である。従来の解釈を改めて、憲法が認めている「必要最小限度」の自衛権の範囲内に、一部の「集団的自衛権行使」も含まれるとする内容。自衛隊の活動範囲は日本領海と公海上に限定し、他国領内への派遣は認めない方向だ。
 自民党内の消極派と、何より慎重姿勢を崩さない公明党の抵抗感を和らげる思惑がのぞく。
 党内論議を主導するのは自民党の高村正彦副総裁。始まった自公協議でも、最高裁の砂川判決を引き合いに限定的な行使容認であれば、憲法解釈の変更は許容されるとの見解を示し、公明党の理解を得たい考えだ。
 あくまで限定的な容認を強調することによって、集団的自衛権行使の名の下に「地球の裏側まで出掛けて行って戦闘行為などに加担する」といった懸念を取り除く狙いがある。
 ただ、限定は曖昧なものになりそうだ。憲法解釈の変更を閣議決定する際、活動範囲や行使の具体例は明記せず、国会答弁で他国での行使は「認めない」と説明するという。
 担保するのが首相答弁では、明確な「歯止め」になり得まい。答弁の変更は十分あり得るし、自衛隊法などの法律で活動範囲を制約したところで、法律の改正も可能だ。
 憲法解釈のたがさえ外せれば、後々の情勢変化に合わせ、内容などを拡大できる。小さく産んで…と読めてしまう。
 そもそも「限定容認論」を厳格に解釈すれば、認められている個別的自衛権で相当程度、対応できるのではないか。
 シーレーン(海上交通路)防衛とともに、集団的自衛権行使の具体的な状況として、政府が想定する朝鮮半島有事で、自衛隊が公海上で攻撃を受けた米艦船の防護に当たる場合、周辺事態法など現行法の改正で対処できるとの見方がある。
 集団的自衛権の行使容認は、事実上の憲法改正を意味し、国の針路にも関わる大転換だ。その必要性と適否について、熟慮が欠かせず、当然、国民の理解を得る慎重な手続きも要る。
 その点、時の政権の判断で何とでもなる閣議決定という手段は、適切だろうか。やはり、憲法改正で臨むのが筋だ。
 自民党内は「限定的な行使」容認が大勢となっている。今後、具体的な行使の範囲をめぐり議論が本格化する見通しだ。
 共同通信社が先月実施した世論調査で、集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更に反対が、賛成の倍近い57.7%に上り、前回2月の調査より6.7ポイント増加した。現実味を帯びるにつれて不安が高まっている印象だ。
 国民の意向を置き去りにする形で、与党内の合意形成を急いではならない。限定が限定にとどまらない事例は数多い。そうした危うさも踏まえ、結論ありきで臨ぶべきではない。



<北海道新聞>
集団的自衛権 限定容認論は通らない
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/531016.html
 政府が集団的自衛権の行使を限定的に認める原案をまとめた。憲法が許容する必要最小限度の自衛権の範囲に、一部の集団的自衛権行使も含まれると憲法解釈を改めるのが柱だ。
 これを受け、自民党は安倍晋三首相直属の「安全保障法制整備推進本部」で党内調整を本格化させた。「限定容認」の結論ありきで議論が進み始めている。
 だが集団的自衛権問題の本質は、日本への武力攻撃がないのに、他国のために武力行使することが憲法で認められるか否かにある。
 歴代政権は「認められない」との憲法解釈を一貫して維持してきた。これをいったん「認められる」と変えてしまえば、米国の要請を受ける形で行使の範囲は拡大し、歯止めが効かなくなるだろう。
 行使を限定しても、解釈変更が憲法上、許されないのは明白だ。
 自民党所属議員は限定行使など通用しないことを肝に銘じ、白紙から慎重な議論を尽くすべきだ。
 政府原案は自衛隊の活動範囲を日本領域と公海上に限定し、他国領域への派遣は認めない方向だ。
 高村正彦副総裁は安保法制本部の初会合で、限定容認論を正当化する根拠として、在日米軍の合憲性が問われた1959年の砂川事件の最高裁判決を挙げた。
 高村氏は、判決が「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置」を認めているとし、集団的自衛権も限定すれば行使可能と主張した。
 だが、これは明らかに誤った解釈だ。判決は集団的自衛権行使を認めたものではない。その証拠に、判決後も政府は、行使が必要最小限度の自衛権の範囲を超えるとの判断を堅持している。
 公明党の山口那津男代表が「砂川判決は集団的自衛権に直接触れていない」として、同調しない考えを示したのは当然である。
 首相は当初、全面的な行使容認を目指し、安保法制懇に対し、第1次政権当時に議論の対象とした公海上の米艦船の防護など4類型以外の議論も求めた。
 だが、公明党だけでなく、自民党内からも慎重論が出るや、限定容認論にかじを切った。
 憲法解釈変更の突破口だけ開いておけば、後はいくらでも拡大解釈できると考えているのだとすれば、憲法軽視もはなはだしい。
 自民党本部初会合では、高村氏の主張に対し明確な反対意見は出なかった。こんな議論がまかり通るようでは政権与党としてあまりにもお粗末と言わざるを得ない。






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